「わかりやすい先生」=「良い指導者」なのか?

「わかりやすい先生」=「良い指導者」なのか?
「あの先生のレッスンは、わかりやすい」
「説明が上手」
「キューイングが上手」
ピラティスの指導者について話していると、こういう言葉をよく聞きます。
もちろん、「わかりやすい」というのは、とても大切なことです。
自分が知っていることを整理して、相手が理解できる言葉に変換する。
相手の様子を見ながら、言葉を選ぶ。
これは立派な指導技術です。
むしろ、本当に理解しているからこそ、複雑なことをシンプルに伝えられる場合もあります。
だから私は、「説明が上手いことなんて、指導力とは関係ない」とは思いません。
ただ、それだけで「良い指導者」と判断していいのだろうか?とは思います。

指導には「見える技術」と「見えない技術」がある
レッスンを受けている人から見えやすいものがあります。
話し方、声の大きさ、説明のわかりやすさ、キューイング、雰囲気、親しみやすさ。
これらは比較的、評価しやすいものです。
一方で、外からはなかなか見えないものがあります。
なぜ、このエクササイズを選んだのか。
なぜ、今日はこのエクササイズをしなかったのか。
なぜ、この動きは修正したのに、別の動きは修正しなかったのか。
なぜ、スプリングを変えたのか。
なぜ、今は次の段階へ進ませなかったのか。
指導者の頭の中では、こうした判断が絶えず行われています。
私は、ここにも指導者の実力が表れると思っています。
「たくさん教える」ことが、良い指導なのか
以前、ドイツ軍人の組織論として知られている話について考えていました。
能力と行動量を組み合わせて、人材の適性を考えるというものです。
これをそのままピラティスに当てはめることはできませんが、考えるきっかけとしては面白い。
知識がある。
勉強熱心である。
やる気がある。
そして、たくさん教える。
一見、とても良い指導者に見えます。
でも、知っていることを全部伝える必要があるのでしょうか。
目の前の身体を見て、
「骨盤をこうしてください」
「肋骨をこうしてください」
「肩を下げて」
「お腹を入れて」
「背骨をもっと動かして」
「呼吸はこうして」
と、気づいたことを全部修正していく。
指導者は一生懸命です。
でも、お客様にとって、それが本当に必要なことなのか。
ここは分けて考える必要があると思います。

「何を言うか」だけではなく、「何を言わないか」
経験を積んでいくと、私は指導とは「足していくこと」だけではないと感じるようになりました。
何を言うのか。
何を直すのか。
だけではなく、
何を言わないのか。
何を今は直さないのか。
これも指導者の選択です。
人の身体を見れば、気になるところはいくつもあります。
でも、そのすべてを一度に変えることはできません。
だから、観察する。
そして、その人が今必要としていること、そのエクササイズの目的、安全性、その日の状態などを考えて、優先順位を決める。
そして、介入する。
観察 → 選択 → 介入 → もう一度観察する。
この繰り返しが、実際の指導なのではないかと思っています。

「わかりやすかった」と「身体が変わった」は少し違う
レッスンが終わったとき、
「説明がすごくわかりやすかった」
と言っていただけることは、とても嬉しいことです。
でも、もう一つ見たいものがあります。
その結果、何が起きたのか。
動きやすくなったのか。
今までできなかったことができるようになったのか。
身体に対する理解が深まったのか。
自分で身体をコントロールできるようになったのか。
あるいは、長期的にその人が望んでいる身体へ近づいているのか。
指導者がたくさん話したかどうかではなく、お客様に何が起きたのか。
ここも、指導を評価する大切な視点だと思います。
お客様の評価と、指導者を育てる側の評価
ただし、ここで間違えてはいけないこともあります。
お客様が、
「わかりやすかった」
「楽しかった」
「身体が軽くなった」
「またこの先生に教えてもらいたい」
と感じることは、とても大切です。
お客様は、指導者の試験官ではありません。
解剖学の知識やプログラミング能力を評価するためにレッスンを受けているわけでもありません。
自分にとって良い時間だったか。
自分の身体に良い変化があったか。
それで指導者を選んでいいと思います。
一方、指導者を育成する立場では、それだけでは足りません。
「なぜ、このエクササイズを選んだの?」
「何を見て、そう判断したの?」
「なぜ、そこを修正したの?」
「そのキューを出したあと、何が変わった?」
そこまで見ていく必要があります。
良い指導者とは?
では、良いピラティス指導者とは、どんな人なのでしょう。
話が上手な人。
知識が豊富な人。
エクササイズをたくさん知っている人。
身体を見ることができる人。
お客様から人気のある人。
どれも大切だと思います。
でも私は、そのもう一段奥に、
「目の前の人を観察し、何が必要なのかを考え、今何をするのかを選択できること」
があるのではないかと思っています。
そして、その選択を相手に伝えるために、「わかりやすく話す力」が必要になる。
そう考えると、
「わかりやすい先生」と「良い指導者」は対立するものではありません。
わかりやすさは、良い指導を構成する大切な一部分。
ただし、それだけでは見えない部分にも、指導者の技術がある。
たくさん知っていることより、
たくさん話すことより、
たくさん直すことより、
目の前の人に、今、何が必要なのかを選べること。
そして、ときには「何もしない」「言わない」という選択もできること。
ピラティスを長く指導していると、そんな「見えないところ」にこそ、指導者としての経験が表れるのではないかと、最近よく考えます。

まずは体験!













