「生きている実感」がある人生を

ニュースで見た
東野圭吾さんの訃報に接し、本当に驚きました。
「まだお若いのに。」
「これからも、もっと素晴らしい作品を書いてくださると思っていたのに。」
そんな思いが自然と込み上げてきました。
作家という仕事は、本を書き終えたら終わりではありません。
きっと頭の中には、まだ描きたい物語があり、伝えたい言葉があり、書きたかった作品があったはずです。
「もっと読みたかった。」
そう思わせることができる人生は、本当に素晴らしい人生だったのだと思います。
そして、この訃報に触れながら、私はふと自分自身のことを考えました。
「私も、そういう年齢になったのかな。」
若い頃は、人生には終わりがあることを知っていても、それはずっと先の話でした。
でも今は、同世代や少し年上の方が亡くなられたという知らせを聞くたびに、「人生には限りがある」ということを現実として受け止めるようになりました。
だからといって、悲しい気持ちだけではありません。
むしろ、「残された時間をどう生きるのか」ということを、以前より深く考えるようになりました。
そんなとき、以前読んだ、東野圭吾さんの言葉として紹介されている一節を思い出しました。
「どんなに短い人生でも、たとえほんの一瞬であっても、生きているという実感さえあれば未来はあるんだよ。明日だけが未来じゃないんだ。それは心の中にある。それさえあれば人は幸せになれる。」
私はこの言葉を読んだとき、「これはまさにピラティスの本質ではないだろうか」と感じます。

ピラティスは、身体を鍛えるためだけの運動ではありません。
姿勢を整えることだけでもありません。
一番大切なのは、「自分自身を感じること」だと思っています。
呼吸を感じる。
足裏が床を押す感覚を感じる。
背骨が一本ずつ動く感覚を感じる。
肋骨が広がる感覚。
骨盤が安定する感覚。
左右の違いに気づくこと。
普段は意識することのない身体の奥深くの筋肉が働くことを感じること。
身体の感覚を十二分に使い、自分の身体と対話する時間。
その時間は、「運動をしている時間」ではなく、「生きていることを感じる時間」なのだと思います。
私はレッスンの中で、お客様に「正しい形」だけを求めることはありません。
もちろんアライメントは大切です。
でも、それ以上に大切なのは、
「今、何を感じていますか?」
ということです。
身体は、いつも私たちに何かを教えてくれています。
呼吸が浅くなっていること。
力が入りすぎていること。
左右の使い方が違うこと。
疲れていること。
あるいは、今日はいつもより身体が軽いということ。
その小さな変化に気づくことができたとき、人は初めて「今、この瞬間」を生きることができます。
だからレッスンが終わったあと、
「呼吸が楽になりました。」
「身体が軽くなりました。」
「なんだか気持ちまで前向きになりました。」
そんな言葉をいただくたびに、私は身体だけではなく、心にも変化が起きているのだと感じます。
私たちは、「何か大きな出来事」があれば幸せになれると思いがちです。
でも、本当はそうではないのかもしれません。
深く息を吸えたこと。
肩の力が抜けたこと。
気持ちよく歩けたこと。
自分の身体を大切に感じられたこと。
そんな小さな「生きている実感」の積み重ねが、人生を豊かにしていくのではないでしょうか。
東野圭吾さんは、小説という形で多くの人に「生きること」を伝え続けてくださいました。
私は、ピラティスという形で、それを伝えていきたいと思っています。
一人のお客様とのレッスン。
一人のインストラクターとの学び。
その積み重ねが、誰かの人生を少しでも豊かにできるのであれば、それほど幸せなことはありません。
人生の長さは、自分では決められません。
でも、人生の深さは、自分で育てることができます。
だから私はこれからも、呼吸を感じ、身体を感じ、そして「生きている実感」を大切にしながら、一日一日を積み重ねていきたいと思います。
そして、ピラティスを通して、一人でも多くの方が、
「今日も、生きている実感があった。」
そう思える時間を届けていきたいと思っています。
まずは体験!














