「わかる」より、まず動く——身体は動きながら学んでいく

「わかる」より、まず動く——身体は動きながら学んでいく
レッスンをしていると、
「わかりました」
「なるほど!」
「そういうことなんですね」
と言っていただくことがあります。
もちろん、説明を理解することは大切です。
でも私は長く運動指導をしてきて、時々思うことがあります。
「わかった」ことと、「身体ができる」ことは、本当に同じなのだろうか。
そして、身体を変えていくためには、しっかり理解すること以上に、
まず、動くことが大切なのではないか。
最近、そんなことを改めて考えています。

わかったら、身体はすぐにできるのか?
たとえば、
「ここを使ってください」
「骨盤をこの位置にしてください」
「背骨を一つずつ動かしてください」
と説明されたとします。
説明を聞いて、
「なるほど、わかりました!」
と思う。
では、その瞬間から身体もその通りに動くのでしょうか。
そんなに簡単ではありません。
もし、説明を理解するだけで身体を思い通りに動かせるのであれば、運動の習得にそれほど時間はかからないはずです。
能力の高いアスリートでさえ、コーチから説明を受け、その意味を十分理解していても、
すぐに思い通りの動きができるとは限りません。
頭で理解することと、身体がその動きを獲得することは、別のプロセスなのだと思います。

「できた」と「身についた」も違う
運動学習の研究では、練習しているその場でパフォーマンスが良くなることと、
運動を「学習した」ことは区別して考えられています。
その場では、指導者に言われた通りにできた。
でも、翌日一人でやるとできない。
違う環境になるとできない。
別の動きになると応用できない。
それなら、本当にその動きを身につけたと言えるでしょうか。
運動学習では、練習によって生じた変化が時間が経っても残る「保持」や、別の状況でも使える「転移」などを通して学習を考えます。
つまり、
その場で正しくできたことと、その人の身体が変わったことは、必ずしも同じではない
ということです。
だから、まず動いてみる
私はここが運動指導ではとても大切だと思っています。
すべてを理解してから動こうとしなくてもいい。
まず、動いてみる。
よくわからなくても動いてみる。
うまくできなくても動いてみる。
そして、もう一度動く。
すると、
「さっきより動きやすい」
「いつもと違うところを使っている気がする」
「こっちのほうが楽」
「よくわからないけれど、何か違う」
という感覚が生まれることがあります。
私は、この
「よくわからないけれど、何か違う」
という感覚を、とても大切にしています。

なぜなら、それは今までとは違う身体の使い方に出会っている可能性があるからです。

身体は、動きながら学んでいく
私たちはつい、
わかる → 動く
という順番で考えます。
でも身体の学習では、
動く → 感じる → 気づく → また動く → 少しずつわかってくる
という順番もあるのではないでしょうか。
むしろ運動では、こちらのほうが自然なこともあります。
自転車の乗り方を、言葉だけで完全に理解してから乗れるようになった人はいないでしょう。
泳ぐことも、ボールを投げることも同じです。
説明はヒントになります。
でも最後には、自分自身が実際にやってみなければわかりません。
身体は、実際に動き、失敗し、調整し、また動くという経験の中で学んでいくからです。

「身体を意識する」ほど良いとも限らない
ここには興味深い研究があります。
運動学習には「注意の焦点(attentional focus)」という研究があります。
たとえば、
「腹筋を使って」
「膝をこのように動かして」
「肩甲骨を下げて」
というように、自分の身体そのものへ注意を向けることを 内的注意 と呼びます。
一方、
「床を押して」
「バーを遠くへ運んで」
「頭頂部が遠くへ伸びていくように」
など、動きによって起こる結果や外部との関係へ注意を向けることを 外的注意 と呼びます。
2021年のメタ分析では、73研究・1,824人を対象とした運動パフォーマンス、40研究・1,274人を対象とした運動学習について分析した結果、全体としてexternal focusがinternal focusよりもパフォーマンスや学習に有利な傾向が示されました。
もちろん、これは「身体を意識してはいけない」という意味ではありません。
課題やその人の経験によっても違います。
ただ、この研究からも、
身体のことを細かく考え、理解し、意識すればするほど上手に動ける、というほど運動は単純ではない
ことがわかります。
「わかったつもり」が動きを邪魔することもある
そして、私が少し怖いと思うのは、
「わかったつもり」になることです。
たとえば、
「お腹を使ってください」
と言われたとします。
その人にとって「お腹を使う」が「お腹を強く固める」という意味だったらどうでしょう。
もっと使おうとして、さらに固めるでしょう。
「胸を開いて」と言われて、胸を反らせる。
「肩を下げて」と言われて、力いっぱい肩を引き下げる。
「背筋を伸ばして」と言われて、さらに腰を反らせる。
本人は一生懸命です。
でも実際には、
今まで自分が知っている動きを、もっと大きくしているだけ
かもしれません。
だから「もっと」「もっと」と意識することで、かえって悪い方向へ進んでしまうこともあります。
新しい動きを身につけたいのであれば、自分がすでに知っている感覚を強くするだけではなく、
「いつもとは違う」
という経験が必要なのではないでしょうか。

指導者が100%の動きを作ることが目的ではない
そう考えると、運動指導者の役割についても考えさせられます。
私たち指導者は、つい正しい動きをさせようとします。
「もう少しここ」
「違います」
「もっとここを使って」
「骨盤をこうして」
そして、最終的に見た目が100点の動きになれば、「できた」と考えてしまう。
もちろん、安全のために修正することは必要です。
伝えなければならないこともあります。
でも私は、
その動きを100%にすることだけが運動指導ではない
と思っています。
大切なのは、その人の中に何か一つでも、
「さっきと違う」
「こうすると楽なんだ」
「こんなところが動くんだ」
「もう一回やってみたい」
という気づきを残すこと。
それが次の動きにつながります。
「楽しい」も運動学習の大切な要素
そして、もう一つ忘れたくないのが、
楽しいことです。
身体は、一回動いただけではなかなか変わりません。
何度も動く必要があります。
だからこそ、
「できた!」
だけではなく、
「面白い」
「気持ちいい」
「またやってみたい」
という気持ちも大切なのだと思います。
運動学習の研究でも、フィードバックは単なるエラー修正の情報だけではなく、学習者のモチベーションなどにも関係することが指摘されています。
100点の動きを一回作ることより、
また動いてみたいと思えること。
それも、長い目で見れば身体を変える大きな力になるのではないでしょうか。

ピラティスは「身体について勉強する時間」だけではない
もちろん、解剖学を知ることも、身体について理解することも大切です。
私自身、今も学び続けています。
でも、ピラティスをする目的は、身体について詳しく説明できるようになることではありません。
身体を動かすことです。
わからなくても、まず動いてみる。
動いてみたら、何かを感じる。
少し変えて、もう一度動く。
すると、さっきとは違う感覚が生まれる。
それを何度も繰り返す。
そして、あるとき、
「ああ、こういうことだったのか」
と身体から理解できることがあります。
私は、その理解のほうが運動では大切なのではないかと思っています。
「わかった」から始めなくてもいい
私たちは学校教育の中で、
理解する → 正しく行う
という順番に慣れています。
でも、身体は必ずしもその順番ではありません。
動く。
感じる。
気づく。
また動く。
その繰り返しの中で、少しずつ身体が学んでいく。
だからレッスンで、
「よくわからないです」
と言われても、それだけで失敗だとは私は思いません。
むしろ、
「大丈夫。まず動いてみましょう」
と言える指導者でありたいと思います。
指導者の説明を完璧に理解することより、自分自身の身体でたくさん経験すること。
身体を変えるのは、「わかった」という言葉ではなく、実際に動いた経験の積み重ねです。
だからこそ私は、
「わかる」より、まず動く。
そして、その人自身の身体の中から生まれてくる「わかった」を大切にしたいと思っています。

身体に絶対の正解はありません。
今日の内容も、現場で学び続ける私自身の一つの視点です。
「ピラティスは、するものではなく、生きるもの。」
まずは体験!













