ピラティスの歴史③
「女性として・・・綺麗へのアクセス」 大阪豊中駅前、ピラティス専門スタジオ。海外からのピラティスマシンを使い、二人、一人のパーソナルレッスン。ピラティスリムーブの菊田です
1918年
ピラティス氏は、25歳。
このころ、ドイツでは、インフルエンザが大流行していて、
年百人もの命が奪われました。が、ピラティスに習ってエクササイズをしていた人は一人も病に倒れなかったと伝説になっています。
第一次世界大戦後、ドイツに戻り、個人的にクライアントを取り始めました。
その頃、動作分析家やダンサーがその動きを取り入れ始めました。
ピラティスさんは、独自の考え方と経験をふんだんに生かし、いろんな人に伝え始めて居たんですね。
一人で伝えるというのは、さぞ大変だったろうと・・・なんだか、ピラティス氏の気持ちを思うと、
今の自分の小ささを感じます。
自分の想いを伝える・・・・信じているものを伝えるって、とてつもない自分との戦いなのかも。
素晴らしい・・・なって、感動ですね。
「今日の言葉」
できるだけ妥協するのがいちばんの利口者。
欲ばりすぎると損をする。
フォンテーヌ(詩人)