ピラティスの哲学
私がピラティスをすごく好きになったのは、これなんです・・・・
答えが出ないものであると思ったときから。
エクササイズでは、あるけど、からだの使い方を学ぶんだなと感じた時からです。ということは、自分を表現する言葉にも似ていると思ったからです。
私は、ピラティスの魅力をなかなか感じられず、ずっとエクササイズをして、扱っていました。
でも、なんだか違う気がする・・・と思って居たけど、それをはっきり確信したのは、アメリカにいったときでした。
尊敬するロベルタのピラティス氏のオリジナルスタジオにいってレッスンを受け、ロベルタから話を聞いているときに涙があふれてとまりませんでした・・・
すごく、感動したんです。そして、飾ってあった絵も私の心を打つものがありました。
(それが、後で聞きましたがBOファウンダーのよしさんの書いたものでした)
ピラティスはただのエクササイズでない
そこから私のピラティス観が全く変わりました。
でも、その段階ではまだはっきりとは、わからなかったのです。
それから、ピラティス氏の本を何度も読むにつれ、「哲学」という言葉が出て来ていたのを
何度も私なりに考えてみました。
ピラティス氏は、西洋の人ですから、もちろん、そのような思想であります。絶対的であり、二元性の考え方が西洋的なものです。しかし、ピラティス氏はヨガにも興味を持ち、東洋思想も大変な興味をもっていたと本にあります。
ということは、
ピラティスは、東洋の相対性であったり、自然というものと共存していく考え方も多く入っていると考られます。
からだと心は繋がっています。だからこそ、考え方は多く、からだに大変な関連性があります。
それをからだの動きとしてして、トレーニングしていくのがピラティスだと考えます。
哲学・・・・・一言で生きれないものが、哲学です。
ピラティスの哲学とは
それは、インストラクターそのもの。人生は哲学といわれますから。
その人の毎日の行動や体つき、言動・・・だと思いますが、特にからだの動きの話ですから、
動きがそれを物語るといってもいいと思います。が、それを批判としているのでなく、
それをどうとらえるのかは、学ぶ人の問題であります。
哲学は、正解を探そうとする作業です。もしかして、正解が見つかるかどうかわからないのに、
それでも考えていくのがそれ。
が、反して、論理的に考えるには、先に正解を想定してそこから逆算していきます。
それは、哲学ではない、と私は思います。
もちろん、この方が効果的であり、科学としてはあたりまえではありますが、
自然というのは、結果が出ないものであり、そしてそれをどうとらえて生活に活かしていくのか、それも大事なことです。
哲学・・・は考え方
だから、皆さんにそれを追求しましょう!!!と言っているのではなく、
其れが私ですよ・・・・そう私の行動を見ていただきたいのです。
完璧でない、失敗もたくさんあり、なんだかだらしない。恥ずかしくて、どうしようのないところもあるのがわたし。ピラティスを好きだけど、さぼってしまったり、投げ出したくなるのもわたしです。
それを認め乍ら、またピラティスに向き合っている。だからこそ、皆さんのからだに結果を出せると
自信をもっています。
相対性であり、上も下もない総合的なものであり、
そして、生まれれば、いつかは死ぬもの。
そんな考え方をもう一度考え直す。
からだの動き方もそうなんだとおもいます。
なんでもあり・・・・相対的依存関係により、動きもなりたちそれを意識することが出来る。
それが、コントロールなのではないか。
ピラティスの本質
本質とは、東洋思想では「空」です
形がないものであり、それぞれが欠けているもの
そうあるものとかけているもの
それが、上手く交わり合い、自然をなすもの
今までは、あるものに目を向けていきましたが、
今年は個人的に「欠けているもの」を意識していこうと考えます
私に欠けているもの・・・・それを補うために何をするのか。
欠けているものそれは、なにか
そこから、前に前進していく、パワーが隠されている気がしています。
ピラティスは、深いものでもあり、
また、浅いものでもあります。
そんなこと言ってもいのかな(笑)
それは、皆さんの目的に応じて変わってきます。いいとか悪いとかでなく、どれを選択するのか。
が、目的をもち、そこに向かい確実なピラティストレーニングを選択すれば、必ずあなたの思い通りになります。ここは、西洋的なんですよね。
改めて、ピラティス氏に感謝したいと思います。
皆さんもぜひ、