ピラティスに出逢えたことに感謝
大阪北摂、阪急豊中駅前すぐ ピラティス専門パーソナルスタジオ
心もからだも豊かに健康になれるライフスタイル
運動が苦手でも楽しいトータルボディワーク
スタジオピラティスリムーブのHIDEKOです
私は、24歳で結婚、エアロのインストラクターをつづけてたけど、、子供ができた27歳から36歳まで 完全な専業主婦でした。
もちろん、一人目を産んだらすぐに仕事に戻るつもりでした。エアロは大好きだったからです。
が、このころは、まだ、インストラクターとして戻るには、結構ハードルが厳しく
今は、大手さんでは、復職できる制度があったり、子供がいて仕事をするのは、普通ですが、このころは小さな子供がいて、仕事をすることは一般的ではまだない時代でした。そこで、子供を預けること・・・から始めていきました、そして、仕事を探す・・・・が、なかなか、上手くいかず、結局、あきらめてしまい、贅沢しないように節約に精を出す毎日を過ごせば・・・と思うようになりました。その分、主人も私たちのために頑張ってくれ、そして、二人目・・・・三人目とますます、専業主婦で毎日を送る事が当たり前になりました。大切な子供と、主人と、毎日を送っていくことは幸せで、何にも不満はありませんでした・・・・
でも、なにか、違う・・・
この家の中で、自分の楽しみを見つけるため、テーブルコーディネートを習い、花を飾って、
料理を研究し、本をたくさん読み、子供たちのからだに良いおやつを作る。。。
が、なにか違う・・・
育児に追われ、主人は働き盛りで出張がち。毎日が必死・・でも、友人に囲まれ、子供は可愛い💛
なのに、なにか、違う・・・・と思い出したのです。
預け先が見つからず、断念したけど、下のこどもが大きくなり、幼稚園通えば、少しでも仕事ができるのではないか・・いや、今の状態でもいっぱいいっぱいなのに、これ以上に仕事はむり・・・それにインストラクターとしてもう、無理だろう・・・
と、おもって、半ば、私の人生はこのままなんだなと漠然とした希望のないあきらめのような思いがありました。
そんな中、幼稚園のお母さんの中でインストラクターになられた方がおられ、代行の話を頂きました。
「無理よ=」
と、何度か断ったけど、とうとう断れなくなり、一度、やってみる事にしました。
「え~できたやん。運動って楽しい!!!!!!」その感覚をわすれてなかったし、努力は必要だけど、またインストラクターとして、私、やる!と決めたのです。
ここから、カラダをつくるため食事を制限し、トレーニングをし、見た目のために服やウェアを買いに行き、所帯じみた感じにならないようにするには、どうしたらいいかと考えに考えを重ねました。そして、派遣の会社から、先ずは、主人の休みのときに代行を引き受けました。
そこから、評判からレギュラーの話を頂き、JAFAの認定を取り、色んな先生のレッスンを受け、また、DVDも何度も何度も何度も見て勉強をしました。DVDのキューイングを丸おぼえし、一日中みて、その頃にネット配信のレッスンにもお世話になりました(メッツ様の配信は本当にお世話になりました)
そして、エアロだけでなく、多様化を見越し、ルーシーダットンやピラティスの認定も取りに行きました
そして、ピラティスに出逢ったんです。
カラダが変わり、自分のからだを知ることに楽しさを感じました。これだ!と思ったんです。これを皆さんに伝えたい!!!!
家事もして仕事をするから・・・・と主人の賛同を得る為に何度も話し合いました。
正直、やるべきことが多すぎて、あきらめそうになったことも何度もあったけど、
ピラティスに出逢ったときの「楽しい~運動って楽しい!」この気持ちを沢山の人にも伝えたい!!これが私の役割なんだ・・・・と信じて頑張りました。(と、今もそう思い頑張っています)
主婦で居た時の何か違うと思う毎日には、そういう気持ちは全くなかった。。。なにか違うという気持ちは、からだを動かし、そして、社会の一員として大事な物を伝える!社会の役に立つ自分でいることが出来なかったからなんだと気が付きました。
そこで、いろいろ考え、
母であること、妻であること・・ここを私の生活の基礎とし、
ここから仕事をする・・ということで、主人と話を何度もして、納得できるようにしました。
いまは、それを守ることで、ストレスなく自分のペースで仕事ができ、本当に充実しています。
家族も大切にしながら、そして、子供は成長するので、それに合わせて仕事をしていくこと。
それも、ピラティスに出逢えたからこそ。
大切なものを見つけられたこと、
これはわたしの人生で最も幸福な事だと思っています。そのおかげで健康で居られること運動が毎日の中にあること・・・・そして、それを伝え、皆さんの少しでもお役に立てる仕事ができていること。本当にありがたいことです。