ピラティスの流行をどうみるのか
最近、AIの発展がすごいですが、
落合陽一氏が良いことを言ってらっしゃいました。
AIの時代に大切なのは、
1AIを使って新かちを生み出す力
3誰も気ついていない価値を見つけ出す力
もともと、インターネットは、機械。昔はなく、だんだんそれが発展してきました。ネットに頼るなんて。。。という言葉は言えない時代になってきて、さらにAIなんて考えることを人は忘れてしまうからと否定する言葉で言えなくなっています。
また、今までの常識が常識でなくなるのですよね。
例えば、
エベレスト頂上からの写真があります。合成写真でいかにも登ったかのように綺麗に作った写真と、実際に登った写真。今は、誰もが実際に登った写真の方がいいとは言いますが、本当でしょうか?
実際に登った写真は、実際には、その写真を見ずにその裏にあるその人の努力や苦労を見てその写真を素晴らしいといい、写真でない裏のものをみていて感動している。
が、今の科学では実現できないような人間では不可能な素晴らしい写真を合成して作った場合には、それも一つの感動の写真になるでしょう。それなら命をかけるような努力いらないし、短時間でできるので、その写真も素晴らしいと言えるでしょう。否定することはできません。
それを例にしてこれからのAIの価値を考えたとき、
一つはAIと一緒にスケールしていく、
背景知識があって、それに対して努力しているんだという感動をさせるのが一つ、
もう一つは、みんなが欲しがる前のものを作り、欲しがったタイミングで出す
これって、ピラティスにも同じことが言えるなと思っています。今、流行しているピラティス。伝統的なものとそれを発展させたもの。本物・・・なんていう人がいるけど、それは何でしょうか。
古いものはいいかもしれないけど、時代に合わないと価値はないし、また本質が全く変わってしまうと何が本当にしたいことだったのかわからなくなる・・・・
ただ、言えることは
あんまり努力もせず適当に作られたものが意味がない・・・・
でも、それが発展するにしろ、伝統を守るにしろ、
新しい時代に、ピラティスの価値をどこに見つけていくことなのかなと思います。
ピラティスという価値をどこにあるのかと考えるときに、その価値を立証して目の前に表して伝えていくのに、研究が必要だと思っています。
AIもそうですよね。インターネットにおけるテクノロジーの一つであり、発展したものです。
人が実現するさまざまな知覚や知性を人工的に再現するもの、人工知能。だんだん、賢くなっていき、ますますその知能は高まり、そのうち、人を超えていく。その中で、私たちはそれらを使いこなしていくことが必要で、使われていくことなく自分の意思で選択できるということが人として最も大事になっていくことではないでしょうか。
ピラティスも自分の体をコントロールする・・・というのが一つの目標の一つになっていて、
ピラティスマシンというとアメリカの先生方には、否定されます。マシンではなくて装置。機械だと私たちの体を使われていく感じですが、あくまでもその装置をコントロールするのは、私たちだということが大切だからです。
自分の体をどう扱っていくのか・・・・選択肢を持ち、能動的に動いていけるのか。。。その研究が一人一人に必要になるわけです。
研究ってデータを集めていくことだとも思うんですよね。
そのデータは私たちにとって、経験値・・・指導経験はもちろん、そして、自分の感覚(人の感覚は自分でしか感じられないから)これからもずっとピラティスの研究・・・楽しみながら(遊んでいると思われるような)その価値を考えていきたいと思います。
決して、一時期の流行で終わってほしくない。
本質を見た目に見えない、スキルではない基本の部分がピラティスであり、そこから発展させたりするものは、全て受け入れる。
その時代にあった価値あるものにしてほしい。
見た目から入るものいいし、
新しい形のピラティスができてもいい・・・
が、本質を大切にしたいし、その裏にあるもの・・経験に目を向けてもらいたいとも思います