自分からする
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スタジオピラティスリムーブのHIDEKOです
毎日、ブログを書いています・・・・ちょっと、さぼりたいときもあるけど、なるべく毎日書いています。
私は、在日朝鮮人3世で、ずっと本名の「李 英淑」リヒデコで、過ごしていました。結婚して、復帰した時から、菊田にしました。
幼稚園の時は、朝鮮系の幼稚園でしたので朝鮮名。そして、小学校の時両親の方針で、日本の学校にかわり、本名で通学していました。でも、最初は日本名で4年生から李に変えました。この時の自分の中の複雑な気持ちは今でも忘れません。朝鮮系の幼稚園は、いとこがいたり、両親をよく知ってる人の子供もいたり、とっても近しい人の中で、守られていた気がしましたが、日本の学校に来た時のアウェイ感が半端なく、ちょっと戸惑いもかんじたのも、今でも覚えています。
ここで、結構私の中では、自分のアイデンティティーに大きな衝撃というか、深く考えなくてはいけない状態で、
小さな子供には、複雑すぎるものでした。でも、そんなに深刻では、なく、それが当たり前。
自分では、よくわからなかったけど明らかに人とは違うと思わなくては、なりませんでした。もちろん、小さい時から、みんなとは、違うというのが普通だったんですが。
だからこそ、マイノリティ―の考え方には、今、深く思うところもあります。
しかし違うといっても、日本の中でずっと暮らしているのでみんなとかわらない。でも、韓国語が話せないのは、コンプレックスでした。
つい最近まで、北朝鮮籍だったのですが、最近になって韓国籍に変え、そして、日本国籍申請をしていましたが、
やっぱりいろいろ考えてやめることにしました。国籍は韓国ですが、私は、韓国人でも、日本人でもない・・・という感じがします。
そりゃ、ちょっと、みんなとは、違うのかもしれない。
学生時代、本名は嫌ではないし、いじめられることもなかった・・・・
そういうのが、普通だったので。みんなと違うことが普通で、ちょっと嫌なこと言われてもそれも普通。
なにも、特別なことでない、自分は自分でいる。
そして、みんなと違う・・・・と思っていました。そんななか、私には、先生になるという夢があったので、其れが何となく、私を頑張らせてくれていたんだと思います。
そんな私が、以外にも日本の人と結婚して普通になったんです・・・・
それが、なんとなくじぶんには、ある意味ほっとしたけど、それが、違和感でもあったのかもしれません。
今、なにも問題はないし、なにもこれといって、悩んでいることもないけど
そう、
また新たに自分が何もので、なにができるのか、
アイデンティティーをもう一度、考えてみるときが来ているのかなとも思って居ます。
それを子供たちに伝えておく必要があるのかな。
つい逃げたくなることだけど、逃げずに向き合う強さを持とうと思う。
子供にいつも言っているのは、自分からやりなさい・・・ということ。
そう、自分からする。
私もそれをみせないと。
我慢しないで、やれることは全部する。自分からする・・・・
それだけ