これまでの私のピラティスへ考え
「女性として・・・輝くために」 大阪豊中駅すぐ、ピラティス専門スタジオ。ピラティスマシンを使い、
一人のパーソナルレッスン。ピラティスリムーブの菊田です
私は、もともと、スポーツクラブでエアロビクスを教える仕事を長い間してきました。
が、
10年前にピラティス出会いました・・・そして、今。その間、思えば、色んなことがあったのです。
最初のころ、ピラティスの動きが出来ず、なんとも情けない思いをなんどもしました。どうしてできないのかと悔しくて泣いてしまったことも有りました。
力でなんでも押し切っていたし、からだをもともとよく動かしていたことにより、癖を持っていたんだなと、今は、理解できます。
何度やってもできない。。。なんだか、やる気をなくしこの先、ピラティスを学ぶことはないだろうとおもっていました。
が、ピラティススタジオで働くことになり、リフォーマーを扱う必要性があり、コースへ。
そこで、自分のからだに変化が起きたのです。それが、ピラティスに深く入っていくきっかけでした。
フル認定という全てのマシンを使えるコースを修了して、たくさんのクライアントに指導するようになりました。フルをとるには、其れなりの金額も必要で、その当時かなり思い切った決断をしました。
主婦の私には、大きな金額を自分で使うということの選択権はなく、何度も主人と話し合い、結局、若いころに貯めていたお金を使う事にしました。が、子供になにかあった時のためのお金とおもっていたので、やりきれない気持ちでいっぱいでした。
私には、子供が三人いて、一番下はまだ小学生、家事と子供の世話、勉強や仕事・・・コースと、寝る間を惜しみ勉強していました。その時に大事だったのは、切り替え。
気持ちを切り替える方法を作り、やるべきことを一つ一つ切り離し、行動していました。
資格をとった後も、コースの先生からピラティスを定期的に受けていました。
そして、数年たち・・・・自分のピラティスで悩んだ時期がありました。というのは、ピラティスをしてもリフォーマーで変化を感じたあの感覚を感じなくなり、また、
逆にからだの不調も出てきていました。悩みすぎたのかわからなくなり、私はしばらく、ピラティスから離れる決心をしたのです。
数か月たった時でしょうか、そうすると、変な緊張がとれのか、ある日一人で家でやったピラティスは心地よかったのです。
変化ばかりがすべてだと思っていたけれど、今の自分を見つめる、自分を知ること・・・・に目をむけられるようになったのだと考えます。
見た感じ綺麗に上手くできない・・・ということから、その動きを感じるに変わり、そして、自分のからだに聞き、会話ができるようになりました。
そのことで、もちろん、クライアントへの指導にも変化あり、更に皆さんの結果が大きいものになったと感じています。
実際、文章に書くとさらっとですが、この間、かなり考えたので、こうやって書けることがとてもうれしく思います。
そして、また・・今。
ピラティスを皆さんにどう伝えていくのか。そして、もっと学びを深めたい・・・・
この前者と後者は違うものだと私はとらえていて、
対皆さんと対自分のピラティスをどうバランスをとりつつ、融合させていくのか。同じであり、違うものである。
この二つが私には、とても重要なものであり、ライフスタイルや私の思考に通じています。もちろん、経済的にも、そして、人生としてもこれからどう生きていくのか。
また、決心する時期が迫ってきているのかもしれません。
ピラティスが、私にいろんなことを教えてくれます・・・・・・目に見えるものだけでなく、感じること。その自分自身の感覚を信じること。
そして、視点を変え、それをまた俯瞰すること。
安定するということは、こういうことなのか。。。。と。
心理学を学んだりり、ビジネスを学んだり・・・・・もしかして、私は遠回りしていたのかもしれませんが、
私が持っているものを最大限に生かし、そして、みなさんがそのピラティスを気軽に楽しんでもらえること・・・・それを目標にしています。
今は、1000人に一人の割合のピラティス人口ですが、これをもっと上げていくことに対力したい。
更に、50代60代の方にももっと、からだを動かすことを楽しんでもらいたい・・・ピラティスはピッタリだと思います。
さあ、これからどんなやるべきことが待っているのか~!! 道は開かれている気がします。
hideko
「今日の言葉」
人生ね、あてにしちゃいけません。
あてになんぞするからガッカリしたり、悩んだりするんです。
あてにしちゃいけません。あてにしなきゃ、こんなもんだ、で済むじゃありませんか。
永六輔