「正しさ」だけでは人は動かない──ピラティス指導における“導く言葉”とは

ある見識者がこう言いました。
「どちらかにしっかり転ぶことがいい。イデオロギー的に行くなら貫き、正解を求めるなら徹底的にやるべきだ。」
この言葉が、最近ピラティスを指導していて、胸に響いています。


「正しさ」では人は動かない

私たちはつい「正しいこと」を伝えようとします。
理論的に整い、論理的に筋が通っていること。
けれど、人は正しいからといって動くわけではありません。

それは、ビジネス書やスピリチュアル書のベストセラーを見れば明らかです。
そこに書かれていることは、必ずしも科学的に正しいとは限らない。
それでも、多くの人を突き動かす“導く言葉”の力があります。

それは「理屈」よりも「信じる力」を呼び起こす言葉。
人が動くのは、“正しさ”ではなく、“心が納得する導き”なのかもしれません。


ピラティスに重ねてみる

ピラティスの指導も、まさにこの構図に似ています。
「このエクササイズをやりなさい」と言ってできる人もいれば、できない人もいる。
正しいフォームや理論を説明しても、身体がついてこないことがある。

そのとき大切なのは、“正しく伝えること”ではなく、“どう導くか”
つまり、その人が自ら気づけるように、感覚や体験を通して理解へ導くことです。

理論を重んじるイデオロギー的指導もあれば、
「こう動いてみよう」と明確に示す正解型の指導もある。
どちらが良い悪いではなく、「どちらの立場で導くのか」を明確にすることが大切です。


イデオロギーと正解、その狭間で

理論的に導くことは「考える力」を育てる。
一方で、正解を示すことは「行動を起こす力」を与える。
どちらか一方に偏るのではなく、相手の段階や状況に応じて、導き方を選ぶこと。

「正しいこと」を伝えるだけでは届かない。
でも、「信じさせる言葉」だけに頼るのも危うい。
この間でどうバランスをとり、どう誠実であるかが、指導者としての成熟だと思います。


ピラティスは、体を通して“気づき”を得る学びです。
だからこそ、指導者には「正しさを超えた導き」が求められます。
ただ正しいことを教えるのではなく、
その人の心と体が“自ら動き出す瞬間”を生み出すこと。

正しさだけでは人は動かない。
けれど、導く言葉には、人を変える力がある。

その狭間で、私たちは日々、教え、学び続けているのだと思います。



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