「言うは理性、黙るは品性、伝えるは人間性」

「言うは理性、黙るは品性、伝えるは人間性」──指導者として、いま一度見つめ直したい言葉の選び方
ピラティスをはじめ、身体を通じて“何か”を伝える指導の仕事に携わる者として、
最近、ある言葉が心に深く残っています。
「言うは理性、黙るは品性、伝えるは人間性」
教えるという行為は、単なる知識の提供ではありません。
もちろん、専門的な知識や技術、経験は必要です。けれどそれだけでは足りない──そう感じる場面が、指導を続けていると何度も訪れます。
指導の現場では、つい「あれも伝えなきゃ、これも言わなきゃ」と、
自分が知っていることを詰め込みすぎてしまうことがあります。
私自身も、指導の時、また普通の人間関係の中でも、振り返ってみると「言わなくてよかったこと」「言うタイミングを間違えたこと」がいくつも思い出されます。
詳しく説明をした方が親切かなとか、その場に必要のない、詳しい知識を話すと言うことは
もしかして自己顕示欲の表れなのかもしれません。
反省・・・・
今思えば、それらの言葉は、相手のためというより、自分の安心や知識の証明のためだったのかもしれません。

教えることの目的は「自分」ではなく「相手」
私たちの指導の目的は、自分の考えや技術を表現することではなく、
目の前にいるお客様の“目的を達成する”ことにあります。
その人が、自分の身体と向き合い、
少しでも理想に近づけるように、何が必要かを見極め、導いていくこと。
その過程で必要な言葉を選び、不要なものはそっと引き出しにしまう。
それが本当の「伝える力」ではないでしょうか。
“知っていることを確実に全部伝える”ことが指導ではなく、
“必要なことを、必要なだけ、相手に届くように伝える”ことこそが、
指導者に求められる技術であり、人間性なのかなと私は思います。

言葉を抑えるという成熟
「感情のままに言いたいことを言わない」
「相手に考える余地を残す」
「沈黙の中に委ねる勇気を持つ」
これらは、ただ黙っていることとは違います。
言葉を“使わない”という選択をするには、高い自己調整力と、相手への深い配慮が必要です。
それは、脳の前頭前野──いわゆる“理性を司る領域”を働かせる行為であり、
まさに「感情を乗り越えて人としてどう関わるか」が問われているのだと思います。
伝える仕事の難しさと美しさ
私たちは、伝える仕事をしています。
しかし、「伝える=たくさん話すこと」ではありません。
“言わないこと”の中にこそ、品性が表れ、“どう伝えるか”に人間性がにじむのです。
私も、これまでいらない言葉をたくさん使ってきたな……と、反省しています。
ただ、それに気づけた今だからこそ、指導者としてさらに深く、人に寄り添える伝え方をしていきたいと思っています。
これからも、言葉を磨きながら、
目の前の人にとっての「最適な一言」が届けられるように──
伝えることの本質を、見つめ続けていきたいと思います。
***************************
※新体制のマシン付き養成スクールが秋開講予定!
画期的 マシン付きの養成スクールが開講します!
長くこの仕事を続けられる質の高いインストラクターを育てます。
実践的でよりお客様に寄り添ったレッスンができるインストラクターを育てます。
全てのマシンを学ぶのに一年間かけて、450時間のトレーニングを行います。
時間をかけ、自分のスキルをあげませんか?
***************************
FollowMe★
ピラティスを極める
ピラティス探究家 菊田英淑
@hidekokikuta