ピラティスをするのが好き
私は、自分で動くのもとても好きです。
ピラティスに触れた最初から指導ということが念頭にあった出会いでした。
が、今となっては、ピラティスをするのが好きです。
自分ができることと、それを指導することは違います。自分ができないと指導できないと私は、思いますが、そうとは限らないもの。
なので、最初は、そうだったのかもしれません。
指導するということは、実際には、知識や理論が頭に入っていれば、それを教えることはできるもの。面白いですよね。
が、私自身、自分ができないとそれを指導できるとは思わないので、自分でピラティスをしてそれが、好きであることにとっても感謝しているし、それが自分の軸だとも感じています。
が、一つそこには、問題もあり、
「自分ができるけど、それを教えることができない」ということも生まれてきます。熟練者ほど、上手に説明ができないものです。
それは、
原因はシンプルです。
教える人は、既にその技術を身につけている人。たとえるなら、建物の3階から物事を見ている人です。
教わる人は、まだその技術について何も知らない人です。たとえるなら、建物の1階から物事を見ている人です。
3階から見れば、下のことがよく見えるでしょう。
1階からは、上のほうはよく見えません。
視点の差があるのです。
よく、指導者が「あいつは理解力がない」と、学習者に対して文句を言っているのを聞きます。しかし、残念ですが、相手が理解してくれないのは、学習者の責任ではありません。
100%、指導者の責任です。
1階からものを見ている人に「3階に何があるか」を尋ねたところで、見えるのでしょうか?想像できるのでしょうか?
無理ですよね。
だから、3階から見ている指導者が、1階、2階、3階の状態を伝えるしかないのです。相手は見えていないのですから。「いいから上がれ」「自分で考えろ」は、指導放棄でしかありません。相手が落ちたら一大事です。
だから、相手が3階まで上がってくるために、どんな情報が必要なのか考えて、提供しなければならないのです。
実際に昔のことを思い出して、お客様の立場に立っていかなくてはなりません。
が、私も指導に入れていますが、
ステップの細分化です。
当たり前になってしまっていることは、自分にとっては「ワンステップ」でできると思ってしまいがちです。なので、工程を細分化して、一つ一つに取り組んでいくように促す。
また、一を聞いて十を知るということは、なかなかハードルが高いとも思っています。
また私たちのようなサービスという面があるときには、
3つを言って一くらいを知るくらいでいいと思います。少ししか教えられなくてもいいし、その人は負担に思わない程度に指導していかないと、レッスンを楽しむことができません。
そして、その人に寄り添うこと。応援してあげること。きっと学ぶことは大変です。当たり前にできることが、なかなか難しい場合もあります。ピラティス指導者はそれを待ってあげるだけの
余裕も必要ではないかなと思います。
が、誤解のないように言いたいが、やっぱり自分なりにピラティスを理解し、また常に取り組んでいくことが大事なだなと思います。できること・・・すごく重要です。でもそればかりもダメ
なんでも、程よく、良い塩梅で・・・バランスが大事ですね。
柔軟な気持ちと強さ
常に心において行動したいものです。