素直な体
今まで、運動指導してきて思うことがあります
指導してきて思うのは、素直な体・・・っていうこと。指導して、なかなか修正が効かない時があります。もちろん、それは私たちの指導者の教え方に問題があるのです。それは認めていて、なるべくお客様にわかりやすく指導するには、どうしたらいいのか・・・と考えているわけですが、
たまに「すぐに修正できる」力をお持ちの方がおられます。もちろん、その力を入れるために、
指導しているところもあるのですが、数回でそれをすっとスポンジのように吸収してしまう方がおおられます。それは、どうしてなんだろうか・・・とちょっと考えてみたいと思います。
私はもともとから運動を指導しているので、綺麗な動き・・・・を考えた時に、どんなことなのかといつも考えています。それで、到達したのは、「綺麗な動き」=「機能的な健康的な動き」でないことがあります。
でも、「機能的な動き」は、綺麗な動きであります。
なので、綺麗な動きを突き詰めていくと、体を痛める可能性がありますが、
機能的な体に良い動きを求めると結果、綺麗な動きであるのです。
が、多くの方は、「体に良い動き」を求めているわけで、目的がはっきりしているのですが、長く運動をしていると、その目的がなくなって、「運動しなきゃ・・・太ってしまう」とか、「あの先生のレッスンに行かなくっちゃ」とか「友達の話に乗り遅れる」とかになってします。今あげた例は、悪いわけでなく、それに付随するモチベーションの役割をするものであるべきなので、主とした目的に変わるとなんだか、ややこしくなって、そのためなら、膝が痛くてもいく・・・ということになるわけです。
また、綺麗な動き・・・は、素直な動きであることもあると思います。
癖のない、最短でのスムーズな軌道の動き。
それには、動きに対する自分の認識を変えなくてはならないのではないかと思うのです。
姿勢も同じで、姿勢は、ある意味、その人を表していて、
その人の個性でもあります。が、その姿勢が、もし、自分に対して悪さをしているのであれば、チェンジする必要があり、それを自分でも感じるはずです。が、その変わる・・・ということに注力しなければ、いつまで経っても、「修正する力」が生まれません。
そのためには、指導させていただいています、お客様と繋がっていくこと。
口では表せない何か(これも人によって変わるのかもしれませんが)心のどこかをコネクトしないとうまく修正力が働かないのではないでしょうか。
もちろん、こうしてあーしてという動きのシーケンスを完璧にこなしたとしても、何もその人の中にチェンジがないとなかなか効果が生まれないと思うのです。
ピラティスは、概念であり、
例えば、肉じゃがの作り方を学んでいると言ってもいいと思っています。
まず、食べてみておいしいと思わないと作りたいと思わないし、また作りたいという気持ちも重要です。そこから、調理の順番、味付けを習っていくわけです。何回か、作り、同じ味付けに何度もできるようになったら、(再現性が生まれる)味付けを変えて、カレーにすることもできる。
その作り方、肉じゃがを作る戦略というか方法を学ぶわけです。
だから、それを習うという素直な気持ちなのかなと感じました。
最初、肉じゃが自信に不信感を抱けば、きっとその方法を習うどころか、私ならこうするなと
そこばっかりを考えるようになって、アレンジしたものが肉じゃがになってしまいます。
素直な心って、大人になると難しいし、素直な心は、勇気が入ります。
もちろん、頭がいい人は、すぐに先が見えてしまうので、なかなかそれを鵜呑みにできない。でも、それが、できなければ、ずっと同じやり方ばかりしかできない。
素直な心・・・私自身が忘れていたのかもしれません。
これは、言ったままそのまま、考えないでやりなさい!と言ってるのではなく、いったん受け止めてみる・・・というような考え方でしょうか。それを受け止めるには、自分の体を心を安定させておくことが重要なのです。
動揺している状態では受け入れることはできませんから・・・・
ピラティスをやると難しいと感じるのは、ここにあるのかもしれません。
収入を得るには、魚を得るのではなく、釣り方を学べと言いますが、それに似ているのかも。
ピラティスも、その具体的なことをするよりも、その戦術を学び、考えることが結果への早道です。自分の体を知ることなんですかね。
素直な心を持ちたい・・・・それには、自分を磨き、無心な気持ちでも不安にならない
しっかりとした軸を持つことであります。
ピラティスでも軸を持つことで、自分の体の修正力をもて、センターを感じられ、
姿勢を治す力を持つのでしょう。
外的からの加わった力を受け入れ、その分だけ押し返す。バランスで落とし所をつけていく
素直な気持ちで、受け入れることのできる安定感を身につけましょう